福生市に対応しているポスティング業者紹介の福生市ポスティング.com|福生市の歴史

「福生市ポスティング.com」のサイトに関するお問い合わせ電話番号

福生市あれこれ

福生市の歴史

福生市の歴史の写真

 古代

福生市不動尊遺跡から出土した遺物や長沢遺跡の集落跡から、縄文時代早期にあたる約1万年前から人間の活動が展開されはじめ、縄文時代中期にあたる約5~4千年前には大規模な集落が形成され、生活が営まれていたといわれています。そして11世紀には、武蔵七党・西党の小川氏の系図の中に、初めて「福生市」の名が登場しました。

 室町時代・江戸時代

室町時代は、八王子城主北条氏照の支配下にあり、江戸時代に入ると福生市村は天領に、熊川村は天領・旗本領に分かれて統治され、幕末まで続きました。

 明治時代・大正時代

廃藩置県後、韮山県や神奈川県に属し、明治22年(1889年)の市町村制の施行により、福生市村・熊川村は組合役場を設け、共同で事務処理をすることとなりました。その後、明治26年(1893年)には東京府に編入され、翌年、青梅鉄道の福生市駅が開設されました。

また、大正14年(1925年)には、福生市~五日市間のバスの運行と五日市鉄道が開通し、福生市は西多摩地域の玄関として、活気を呈すようになりました。明治~大正~昭和に至る福生市は、酒造と製糸を地場産業とし、養蚕を中心とした農村地帯として発展していきました。

 昭和時代

昭和14年(1939年)から2年間にかけて、市の東北部に旧日本陸軍飛行場(多摩飛行場)がつくられ、人口が増加し、昭和15年(1940年)に福生市村・熊川村が合併して福生市町となりました。戦後は米軍横田基地を中心に発展を遂げ、商店街が賑わいましたが、昭和37年(1962年)頃から「基地の町からの脱皮」が真剣に考えられ、同年、首都圏整備法による市街地開発区域の指定を受け、都市計画が進められました。

昭和45年(1970年)に、地方自治法の一部改正により人口38,749人の福生市が誕生しました。その後は計画的なまちづくりが行われ、市民会館・福祉センター・茶室・中央図書館・体育館・リサイクルセンター・公園・道路・公共下水道の完成など、市民生活に必要な施設が高水準となり、市民の健康づくりや文化・ふれあい活動が年々盛り上がりをみせています。

 平成時代

平成12年(2000年)から、第3期総合計画がスタートし、都市基盤・生活基盤から、市民生活の質的向上へと、ACC(アクティブ・クリエイティブ・チャレンジング)を合い言葉に、様々な施策を積み重ねています。すべての市民が「福生市を愛し、ここに住む喜びと誇り」を実感できる、夢と希望をもった新たな福生市のまちづくりを推進しています。

(福生市資料提供)